新たな挑戦!!


by fp-nakajima

こだわりの 木村大作監督

今日で、2回目
『劒岳』点の記  (2009年 監督)
観て来ました。

やっぱり 木村大作監督すごい人でした。
あの映像を、CGなしで 撮っています。
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リアリティーにこだわり続けている 生き様は、ほんとうに勉強になりました。

「監督 次の作品は、加藤文太郎の「孤高の人」ですかあ?」
と聞くと、
木村大作監督
「あれは、役者 死ぬなあ・・・・・・ 下見はしているけど。」 と・・・・

ほんとうに かんがえているんだあ
と、思うと すごい。






・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

木村大作(きむら だいさく、1939年7月29日 - )は、
日本の撮影技師、映画監督。東京都出身。「撮影者」を自称している。映画には監督は一人だけという認識から、撮影監督という名前は嫌っている。

自分の師匠は撮影助手として付いていた宮川一夫や斉藤孝雄ではなく黒澤明だとしており、その影響を強く受けたことを自認している。黒澤からも、そのピント合わせのうまさから一目置かれており、本人から「撮影助手で名前を憶えているのは大ちゃんくらいだ」と言われた事もあるという。黒澤は『用心棒』で犬が人の手首をくわえて歩いて来るカットをビデオで見るたびに、周りの人間に必ず「これ、ピント合わせてるの、大ちゃんだよ。うまいね」と言っていたというエピソードもある(特になんでもない場面のように見えるが、ピントの合う範囲が狭い望遠レンズを使用しているにも関わらず、カメラの方に向かって歩いて来る犬をぼけることなく完璧に撮影している。非常に高度な技能を持っていないと出来ない芸当であり、映画における名カットとして評価も高い)。

また黒澤は、木村が一本立ちして東宝を離れてからも、自分の現場でピント合わせで手こずるような事があると「木村大作を呼んで来い。こんなのあいつなら、一発だよ」と冗談交じりに言ったとも言う。『用心棒』で助手として付いていた宮川一夫からも「日本一のフォーカスマン(撮影助手)」と激賞されていることからもわかるように、ピント合わせにおいては、木村は超一流である。

特に東宝は、口径の大きなアナモフィクレンズ(シネマスコープに変換するレンズ)とスタンダードな(写真用35mmレンズと同等)口径のレンズを両手で自分の目でピン送りしていたので、熟達した技能者を必要としていた。特に対象が、キャメラに向かい(騎馬など)、キャメラがトロッコ等で対象に向かっている場合のそれをドンピシャに合わせられたのが木村だった。ただし当然ジャジャボケの時もあり、「泣きの大作」の所以でもあった。

なお、黒澤作品にはすべて撮影助手としての参加である。カメラマンとして一本立ちしてからは、主に森谷司郎監督や岡本喜八監督とのコンビで名を高めていった。しかし森谷は若くして世を去り、岡本に対しては人柄や才能に最大限の敬意を払いながらも、そのコンテ主義のためにカメラマンの裁量が少なすぎるとして仕事を断るようになる。折しも東宝が実質的に製作撤退しつつあった時期でもあり、同社の専属を離れて深作欣二、降旗康夫ら他社出身監督の仕事もふくめ、幅広い活動を行うようになっていく。

木村を侮蔑に近い表現で批判した蓮實重彦のように、評価しない人もいる。

初監督作品『劒岳 点の記』が2009年公開された。

目次 [非表示]
1 経歴
2 テレビ出演
3 映画カメラマンとしての代表作
4 外部リンク


経歴 [編集]
東京都立蔵前工業高等学校卒後、1958年東宝撮影部カメラ助手として入社。 黒澤明監督の組に属する

1973年映画『野獣狩り』でカメラマンデビュー。
2003年秋に紫綬褒章を受章。
テレビ出演 [編集]
一時期、テレビ出演を積極的に行ったことがある。

『平成日本のよふけ』への出演がきっかけで南原清隆との交流が始まり、『笑う犬の冒険』にてコントのキャラクターの素材とされ、本人もコントに出演することとなった。
しかし、ただコントに出演するだけではなく、木村のコーナーとも言える「ラスト・シーン」では本業のキャメラマンとして35ミリキャメラを回している。

そして『新春かくし芸大会』では2000年・2001年と審査員として出演し、過激なまでの毒舌批評で嵐を巻き起こした。2002年には演者としてアダルトチーム「おじさまメルヘンワールド2002・世界はひとつ!みんな仲良く!」に出演した。

木村の毒舌ぶりは業界内では知る人ぞ知る事柄であったが、一般視聴者の不評という結果となり、以降は地上波テレビのレギュラー出演は行っていない。ただし、衛星劇場では冠のトーク番組「木村大作の春夏秋冬」を持っていて、当時の映画産業や黒澤明をはじめとする映画人の裏話などを披露し、映画ファンや音楽家である大瀧詠一に好評を得ている。

また、地上波でも映画の宣伝などのインタビューには現在も出演しており、テレビ出演が一般認知度を上げるきっかけにはなった。

『情熱大陸』(TBS系)にも取り上げられ、2008年9月21日に放送された。

映画カメラマンとしての代表作 [編集]
この節は執筆中です。加筆、訂正して下さる協力者を求めています。
野獣狩り(1973年)
日本沈没(1973年)
青葉繁れる(1974年)
野獣死すべし 復讐のメカニック(1974年)
吶喊(1975年)
阿寒に果つ(1975年)
八甲田山(1977年)
姿三四郎(1977年)
聖職の碑(1978年)
ブルークリスマス(1978年)
復活の日(1980年)
駅 STATION(1981年)
海峡(1982年)
小説吉田学校(1983年)
居酒屋兆治(1984年)
魔の刻(1985年)
夜叉(1985年)
火宅の人(1986年 監督:深作欣二)
夜汽車(1987年)
別れぬ理由(1987年)
花園の迷宮(1988年)
華の乱(1988年 監督:深作欣二)
姐御(1988年)
あ・うん(1989年)
極道の妻たち三代目姐(1989年)
女帝春日局(1990年)
極道の妻たち 最後の戦い(1990年)
遺産相続(1990年)
新・極道の妻たち(1991年)
略奪愛(1991年)
天国の大罪(1992年)
新・極道の妻たち 覚悟しいや(1993年)
わが愛の譜 滝廉太郎物語(1993年)
新・極道の妻たち 惚れたら地獄(1994年)
極道の妻たち あかい絆(1995年)
日本一短い「母」への手紙(1995年)
霧の子午線(1996年)
極道の妻たち 危険な賭け(1996年)
わが心の銀河鉄道 宮沢賢治物語(1996年)
誘拐(1997年)
時雨の記(1998年)
おもちゃ(1999年)
鉄道員(ぽっぽや)(1999年)
ホタル(2001年)
陽はまた昇る(2002年)
赤い月(2004年)
単騎、千里を走る(日本パート撮影)(2006年)
憑神(2007年)
劒岳 点の記(2009年 監督)


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これからも、この木村大作監督 
 きっと すごいことをしてくれる そんな予感がします。




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by fp-nakajima | 2009-10-25 18:00